健康あっての教師人生

⭐️教壇に立ち続けるために、『今』できること⭐️

子どもを動かす法則⑤ 第二原則の三つの技能

子どもを管理しすぎるクラスの危うさ

最後までやり通すためには、進行状況のチェックがなければらならない。そうしないと「動かない方向」へ集団は進路をとる。

子どもの組織の中に、「チェックする仕組み」をつくるのが一番良いが、教師が時々、取り上げることでも良い。

少しでも前進したことうをほめることによって、何をやっていいのか、どのようにやるのかが一層はっきりして、全体の動きがダイナミックになる。偶発の問題うぃ長引かすと、チームの中にひびが生じる。最小は数ミリが放置しておくととんでもないことになる。即座に処理しなければならない。かくして、集団は動き、動きの中で学び育っていく。

 さて、本日のテーマは、「子どもを管理しすぎるクラスの危うさ」についてである。このポイントは「しすぎる」といった程度の問題である。では、どんな危うさがあるかあらい出してみる。

  • 子どもが萎縮してしまう。
  • 自分で考えないようになってしまう。全てにおいて指示待ち。
  • 特定の子が置いてきぼりになってしまう。
  • 子どもらしさがなくなってしまう。
  • 考える力がなくなる等

「人間は知的な存在である」。ある状況を与えられると、それに対応した行動をするようになる。一時間の昼休憩があると、30分で食事をして、25分遊んで、残りの5分で後片付けをして、トイレに行ってくる。というように計算さん(時間管理)するわけである。もちろん個人差はあるが。ある子は、15分遊んで弁当を食べて、目いっぱい遊ぼうとするだろうと思うだろうし、ある子は、仲良しグループで、ゆっくり弁当を食べたいと思うだろう。それぞれ当然なのである。

しかし、どの子も、指示された行動「一時までに帰りの支度をして集合」という状態に対応させて行動するはずだ。最後の行動を示すことによって、一人一人の子どもは、その時間枠を自由に使うことが許され、かつ、自分なりに工夫・対応ができるようになる。ある部分を区切ることで、子どもは自由になる。これと相反するのが、いちいち指示を出す方法である。弁当のときはそれを指示し、食べ終わった子が質問に来るに及んで「遊んでいいですよ」と付け加え、集合時刻になって、「集まりなさい」と決まって大声をあげるわけである。愚の骨頂である。子どもは一見自由なようでいて、そうではない。コマ切れに時間が与えられ、満足感が湧いてこないのである。自分で工夫して使うという状況にないのである。

これに近いのが、何もかも全て決めてしまうことである。まさに若い頃の自分である。細かく、全てを指示をするわけである。管理過剰の方法である。これも、実は、きちんとしているように見えて、実は能率が悪いことに気づいた。ある大枠を決めて、後は任せるのが知的社会では良い。つまり自治的に動くことである。

私があるコールセンターに問い合わせをしたことがある。「携帯がすぐに電源が落ちてしまう」といった相談をした。こっちの要望をひとまず聞いているのだが、的外れなことばかり聞かれる。なぜか。その原因が「水濡れ」と脳が決めてしまっている。あとはそれを裏付けるための事実がほしいために、原因を一つ一つマニュアルに従ってつぶしていく。全て一字一句頑張って伝えようとしている。あるAという事象に対して、いろんなアプローチがない。しまいには、「少々お待ち下さい。上司に確認して参ります」となる。結局、電源を入れ直してなおったというオチではあるが。マニュアルはある意味、自分の思考を止めてしまうおそれもある。工夫する余地をなくしてしまう。オペレーターはマニュアル通りにやったのだろうが、それがうまくいかない時もあるわけである。

これと同じように「管理のしすぎ」は能率が下がることは、よくみられることである。

向山洋一氏の言葉を引用する。

原則は有効だが、100パーセントというわけにはいかない。やはり「その場」「その場」で、使い方が違ってくる。この微調整ができる人が、名人・達人である。原則を知ること、学ぶこと共に、実践の場ではそれを微調整する応用力が必要となる。これが実践力である。

まだまだ名人のへの道は険しいが、取り組むだけの価値がある。

明日は、活動を通して、生き生きと動くことについて述べたい。本日もありがとうございました。

コメントを残す

健康あっての教師人生をもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む