蛤はまた舌べろをちらちらと赤くもえ
いづる、この蛤は非常に憔悴れている
のである。
みればぶにゃぐにゃした内蔵がくさり
かかって居るらしい、
それゆえ哀しげな晩かたになると、
青ざめた海岸に坐っていて、
ちら、ちら、ちら、ちらとくさった息
をするのですよ。
くさった蛤〜月に吠える〜 萩原朔太郎

萩原朔太郎は『月に吠える』の初版の序文に「詩の表現の目的は単に情調の情調を表現することではない。幻覚のための幻覚を描くことでもない」また「同時にある種の思想を宣伝演繹することのためでもない」といっている。
そして「詩の本来の目的は寧ろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動するところの感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させる者である。」そして「詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である」という。
そして「すべてのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴う」そしてこれを「詩の匂い」という。この「匂いは詩の主眼とする陶酔的気分の要素」であり「この匂いの希薄な詩は韻文として価値のない」ものである。「言わば香味を缺た酒のようなもの」であり「こういう詩を私は好まない」と。たとえば『月に吠える』には次のような詩がある。
くさった蛤を『気味悪いな・・・』と感じることは悪いことではなく、実はむしろ大事なのです。
そんな素材でも『主人公』たりえるのが詩の奥深さであり、萩原朔太郎の凄さでもあるわけです。誰も『美しい』と感じない目の前の蛤に、作者は生命の本質を見たのでしょうか。
『舌べろ』『ちらちらと赤く』『ぐにゃぐにゃした内蔵』など、想像力をフル回転できそうな言葉が盛りだくさんです。
あらすじ
『竹』と同じく『月に吠える』に収録された一作。腐った蛤という番外的ともいえる素材を扱った異色作ながら、実は全54編の中でこの『くさった蛤』がもっとも自信のある作品おひとつであったことを、後に本人が詩人の多田不二への手紙の中で明かしている。

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