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失楽園 460/May.26

ジョン・ミルトンの叙事詩『失楽園』(1667年)は、人類の無垢からの堕落という、聖書の創世記で語られている話を膨らませた壮大な物語だ。ミルトンの最高傑作にして、英語で書かれた最高の叙事詩とされており、西洋文学を代表する作品であるだけでなく、宗教改革に影響を与えた作品としても重要である。

『失楽園』は、無韻詩(ブランク・ヴァース)という形式で書かれてる。無韻詩とは、脚韻を踏まず、弱強五歩格といって、ふたつの音節がセットになったものの(これを音歩あるいは詩脚という)が一行あたり五つある構造を持った形式のことだ。シェイクスピアは、多くの戯曲で無韻詩を使ったが、ミルトンは、その可能性と使える範囲を大幅に広げた。叙事詩的比喩といって、ホメロスなど古典時代の詩人たちが叙事詩で繰り返し使っていた長大で複雑な比喩表現も、ミルトンはさかんに活用した。

 『失楽園』の冒頭、サタンと他の堕天使たちは、神に反逆した天国での戦いに敗れ、罰として神により地獄へ落とされた。復習を狙うサタンとその配下たちは、神が被造物のうち最も大切にしている人間を堕落させようと決意する。サタンは地獄から抜け出し、エデンの園に忍び込んだ。アダムとイブが眠っている隙に、サタンはガマガエルに化けて、イブの耳元で誘惑して不満の種を植えつけた。神は、サタンの計画を知ると、天使ラファエルを遣わしてアダムに忠告させた。サタンが再びエデンの園にやってきたとき、イブは反対するアダムを説得して、ひとり別の場所で仕事をしていた。サタンは蛇の姿を取ると、イブを言葉巧みに言いくるめ、神の命令に逆らって知識の木の実を食べさせた。アダムは、イブのやったことを知って愕然とするが、イブのいないエデンでひとり暮らすよりはイブと一緒に堕落した方がましだと考え、あえて木の実を食べる決断をする。大天使ミカエルがやってきて、この先、人類を待ち受ける数々の災厄の幻をアダムに見せたあと、アダムとイブは『手を取り合って』涙を流しながら『ゆっくりとした足取りで』エデンの園を去っていった。

 『失楽園』では、悪役であるサタンが最も複雑で、誰よりも魅力的な人物として描かれている。彼こそアンチヒーローでビジョンとリーダーシップと巧み話術を披露しながら、そうした資質によって高慢で自己中心的な目的を実現させている。しかもただ悪人であるのではなく、自分のことをよく理解していて、神に追放されたという惨めな思いに苦しんでいる。サタンは悲劇的人物のように描かれており、この神学的なえじれゆえに、ミルトンを批判する人の中には、文学上とはいえサタンに肩入れしすぎていると言って避難するものもいた。

 

豆 知 識

1 ミルトンは(おそらく緑内障で)失明し、1654年以降は作品を助手に 述筆記させなくてはならなかった。

2 『失楽園』の続編、『復楽園』(1671年)は新約聖書に登場する、イエスが荒れ野で40日間を過ごしたときにサタンと対決した物語を描いたものである。

 

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