健康あっての教師人生

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ユリウス・カエサル 481/JUNE.6

ユリウス・カエサル(紀元前100~前44)は、前1世紀に現在のフランス、ベルギー、およびドイツ西部を征服して頭角を現したローマの将軍だ。カエサルの高まる人気に、ポンペイウスを中心とするローマ元老院は脅威を感じ、カエサルに軍隊を解散せよと命じた。カエサルはこれを拒絶。軍団を率いてルビコン川を渡り──これが、もはや引き返すことのできない決定的瞬間となった──首都ローマへ進軍して、内乱を引き起こした。彼は敵軍を追ってヨーロッパを横断し、最後にはポンペイウスが暗殺されたエジプトにやってきた。エジプトではクレオパトラと恋に落ち、彼女を女王に据えた。ローマに戻ると、独裁官として国を治めた。カエサルは、前44年3月15日、反対派によって暗殺された。暗殺犯の中には、彼が目をかけていたブルートゥスもいた。

◆カエサルについては多数の逸話が伝えられている。まだ20代のころ、東地中海で海賊に捕まったことがある。従者たちが身代金を払って解放されると、彼は現地の有力者たちから兵を募って小部隊を作り、海賊を見つけ出して全員をはりつけにした。その後、前62年、カエサルがローマ政界で出世を続けていたときに、スキャンダルが持ち上がった。プブリウス・クロディウスという名の貴族が、男子禁制の宗教儀式の場に忍び込んでいたのを発見された。この儀式はカエサルの邸宅で行われており、そのため、クロディウスがその場にいたのはカエサルの妻ポンペイアと密通していたからだとの噂が、たちまちのうちに広まった。カエサルは、噂が真実でないことを知っていたし、現にそう発言もしている。それでも、カエサルの妻や家族は疑われることがあってはならないと言って、妻を離縁した。

◆カエサルは、ポンペイウスとの内乱中に元老院から独裁官に任命された。当時は危機の時代であり、指導者には圧倒的な非常大権が必要だと考えられたからである。しかし非常時が終わることはなかった。共和政は、二度と回復されなかった。カエサルは独裁官として国を治めたが、元老院に──すでにカエサル派ばかの伝統を尊重している体裁を保つよう、大いに気を配っていた。しかし最晩年には気が緩み、支配下のアジア諸民族が彼を神として崇拝するのを放置し、自身の肖像を描いた硬貨を鋳造した。硬貨に肖像を描かれるという名誉を生前にローマ人が受けたことは、それまでなかった。硬貨には、「終身独裁官」と刻まれていた。このような過度の名誉が人々の反感を募らせ、カエサルの打倒・暗殺へとつながったと考えられている。

豆 知 識

1.アジア遠征で大勝利を収めた後でカエサルが書き送ったのが、有名な一文「ウェーニー、ウィーディー、ウィーキー」(来た、見た、勝った)だ。

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