健康あっての教師人生

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猫山さんはどこにいくのか1001/DEC.2

昨日書庫の整理をしていたときに村上春樹の『村上ラヂオ』を偶然にも見つけた。もうだいぶ色褪せていた。

なんだかまた読みたくなってきたので、私のデスクに移動させた。

私の本を手元におくルールみたいなものがある。自分の中では、ホームラン本にあたるものを、いつ読んでも良いようにデスク前に立たせている。野球のベンチ入りの選手のように。

改めて読み直してみると、私の読解力、ユーモアさがなかったせいで、ずっと無常にも2軍落ちにされていた。

 読んでみたらとにかくおもしろい。さっそく手始めに、『猫山さんはどこにいくのか?』ではまった。

なんというか、分量はさほどないが、猫を擬人化して『猫山』とし、さらに『さん』までつけている。鼠の話、犬との対比、猫本来の役割に至るまで描写している。それらのことを、村上ワールドで絶妙に表現している。実に味わい深い。

僕にとってねこはあくまでも仲の良い友人であり、ある意味では対等のパートナーであって、芸を仕込むというのはイメージとして『ちょっと違うな』という気がする。だから猫山さん(という名前で擬人化して呼ばせていただくけれど)にはもっと凛として生きていてほしい。(中略)以前猫は鼠をとるために飼っていた。よく『おたくの猫をしばらく貸してくれませんか』と。

だから猫は家の中でも価値あるものとして、自立したポジションをとっていた。

つまり、猫山さんは専門技能をもつ個人主義者であり、クールな自由業者であり、そんな時代に猫山さんにお手を仕込むなんてとんでもないと。

確かに祖母の家では、鼠退治に猫をかっていまし、ましてや、お手などみたことなどなかった。通学路に猫に注意という看板もあったぐらいだ。河童に注意看板もあったが、自分は猫のほうが怖かった。

ペットで猫撫で声で近寄ってくる猫もすきだが、『ばーろー、何がお手だ!ふん。俺は犬じゃねえよ。ふざけんな!』と威勢のいい啖呵を切る猫の方が好きだ。がんばれ!全国のニャンちゃんでなく、『猫山さん』。

“猫山さんはどこにいくのか1001/DEC.2” への1件のフィードバック

  1. Rumikoの日記のアバター

    猫山様
    初めまして。
    ねこにゃんとネズミさんの写真可愛いですね。

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