
昨日書庫の整理をしていたときに村上春樹の『村上ラヂオ』を偶然にも見つけた。もうだいぶ色褪せていた。
なんだかまた読みたくなってきたので、私のデスクに移動させた。
私の本を手元におくルールみたいなものがある。自分の中では、ホームラン本にあたるものを、いつ読んでも良いようにデスク前に立たせている。野球のベンチ入りの選手のように。
改めて読み直してみると、私の読解力、ユーモアさがなかったせいで、ずっと無常にも2軍落ちにされていた。
読んでみたらとにかくおもしろい。さっそく手始めに、『猫山さんはどこにいくのか?』ではまった。
なんというか、分量はさほどないが、猫を擬人化して『猫山』とし、さらに『さん』までつけている。鼠の話、犬との対比、猫本来の役割に至るまで描写している。それらのことを、村上ワールドで絶妙に表現している。実に味わい深い。

僕にとってねこはあくまでも仲の良い友人であり、ある意味では対等のパートナーであって、芸を仕込むというのはイメージとして『ちょっと違うな』という気がする。だから猫山さん(という名前で擬人化して呼ばせていただくけれど)にはもっと凛として生きていてほしい。(中略)以前猫は鼠をとるために飼っていた。よく『おたくの猫をしばらく貸してくれませんか』と。
だから猫は家の中でも価値あるものとして、自立したポジションをとっていた。

つまり、猫山さんは専門技能をもつ個人主義者であり、クールな自由業者であり、そんな時代に猫山さんにお手を仕込むなんてとんでもないと。
確かに祖母の家では、鼠退治に猫をかっていまし、ましてや、お手などみたことなどなかった。通学路に猫に注意という看板もあったぐらいだ。河童に注意看板もあったが、自分は猫のほうが怖かった。

ペットで猫撫で声で近寄ってくる猫もすきだが、『ばーろー、何がお手だ!ふん。俺は犬じゃねえよ。ふざけんな!』と威勢のいい啖呵を切る猫の方が好きだ。がんばれ!全国のニャンちゃんでなく、『猫山さん』。
コメントを残す