人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないといとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたために、堂々たる詩家となった者がいくらでもいるのだ。
虎と成り果てた今、己はようやくそれに気が付いた。それを思うと、己は今も胸を灼かれるような悔いを感じる。己にはもはや人間としての生活はできない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、己の頭は日ごとに虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は?己は堪らなくなる。そういう時、己は、向こうの山の頂の巌に上り、空谷に向かって吼える。
この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向かって咆えた。
山月記 中島敦
高校の教科書にも採用されるなど、世代を越えて魅力が共有されている名作の
一つです。心のあり方を誤ったために虎になってしまうという展開がドラマ
チックですし、中島敦ならではの漢語を生かした見事な文ですね。
臆病な自尊心と向き合っら虎になってしまうという豪快な構成。『己』(おれ)の連呼も読んでいて楽しくなりますね。
また、刻苦という言葉が私は特に好ます。ふだんあまり使わないですが、大変な苦労をして仕事や勉学に務め励むことを嫌がって避けるような、自分の怠け心やだらしなさが原因であると李徴は述べているのです。
詩人として名を成したいと願いながらも、先生に師事して修行したり、同じ詩人を目指すような仲間と交わって競い合ったりといった苦労や努力をしてこなかったわけですね。
あらすじ
唐の時代、地方回りの旅をしていた官僚の袁惨(えんせん)は、道中で虎に襲われかけるが、なぜか虎は彼を見るや涙を流しはじめる。実はその虎、かつて優秀な同僚だった李徴(りちょう)で、わけがあって虎の姿に変わってしまったのだった。

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