
閉 鎖 病 棟 あ ら す じ
長野県のとある精神科病院。 死刑執行が失敗し生きながらえた秀丸(笑福亭鶴瓶)。 幻聴に悩まされるチュウさ
ん(綾野 剛)。 DVが原因で入院する由紀(小松菜奈)。 三人は家族や世間から遠ざけられながらも心を通いあ
わせる。 彼らの日常に影を落とす衝撃的な事件はなぜ起きたのか。 それでも「今」を生きていく理由とはなに
か。 法廷で明かされる真実が、こわれそうな人生を夜明けへと導く―――。
映画.comより
【感想】
いつか観ようと思っていたらあっという間に公開が終わってしまった本作。最近は観たい映画が多いので、見極めていかないと。。。。まだコロナが流行る前に確か公開されていたのを覚えている。しかし、世なのかがコロナで自粛する折り、結局足を運ぶことができなかった作品でした。
さて、私が印象い残った点を3点挙げてみる。
① 副題にこめられた思い
② 車椅子に乗り続ける意味
③ 車椅子に降りようとした意味
まず、副題であった
それぞれの朝
という言葉の言い回しが気に入った。もちろんその主語は主役の3人であるし、とりかたによっては全ての患者さんにもいえる。
自分の親族にも精神疾患を患ったおじさんがいた。口癖のように『朝になってくれ』と嘆いていたのを覚えている。
この映画を観て、彼等にとっての朝とは、新たな1日でもあるし、
今を生きる強い意志の表れと感じた。
そして
車椅子の存在だ。
映画の中で『脇役』は必ずといっていいほど存在する。それが、人だったり、物だったりする。本作は、あきらにに後者である。それは、秀丸が乗っていた『車椅子』であった。

死刑執行が失敗に終わり、さまざまあ病棟を転々としてきた。最初は、本当に死刑未遂の後遺症で歩けないとずっと思っていたが、後半に実は『歩ける』という話があった。
ここに秀丸の『懺悔』なのか、それとも『報い』なのか、判断はできないが、少なくとも彼の『死に様』を感じずにはいられない。
その車椅子だが、ラストのシーンで降りる展開になった。こので意味するものが2つある。
(1)秀丸が見る視線の先には、秀丸が殺した囚人と思われ男が見えた。本来は死んでいるのだが、怨念として秀丸の心象を映し出したのか。『お前、まだ生きてたのか。もう一度殺してやる』とい一心で車椅子を降りたのか。
(2)2人の支えによって『生きる力』が湧き上がり、自分のしたこと(殺人)は誤りではなかったと感じたので降りたのか。
いずれにせよ、最後に疑問を投かけるようにして終わる。そのシーンもやはり『朝』であった。


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