健康あっての教師人生

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稲村ジェーン~暑かったけどヨゥ、短かったよナァ、夏。~1491/JUN.21

公開されたのは今から30年前の1990年。高校1年生だった自分は、『意中の女のとと、加勢大周と清水美沙の恋の行方をドキドキしながら、キスシーンでは手をにぎりしめ、真夏の果実の美しいメロディに良いしれ、映画館を出また。まだ帰るのには早いでの、渡良瀬の河川敷に行っていい感じになって・・・』というような展開になっているはずもなく、野郎どうし4人で、放課後観に行った。その時の映画の感想は、正直高校生ながらにも『天は二物を与えず』だと思った。

神様は桑田佳祐に音楽の才能を授けたが、映画は違ったなと。この映画はサザンの音楽を聴きに行くための音楽映画であった。正直、どのシーンが感動したというのはなく、『真夏の果実』『希望の轍』『忘れられたBiG WAVE』の歌の余韻しかなかった。それが高校1年生だった当時の自分の感想であった。

桑田佳祐の挑戦

すでに音楽で地位と名誉を持て余すぐらい手にしていた桑田佳祐が、全く自分の異なるフィールドにチャレンジした。それが『映画監督』であった。

残念なことに公開後はさんざんバッシングをされた。桑田推しのビートたけしさえ『あの映画は、音楽を聴きにいくための映画なんよ』みたいなコメントを読んだ記憶がある。(たしかに今はそれは変わらない)

それでも、30年たった今、自分が感じたのは、別のジャンルで挑戦した桑田の心意気を買いたい。楽曲は別として残念ながら映画の中身は批評のほうが多かった(サザンファンも含め)。しかし、この世間の評価がきっかけになったのかどうかは分からないが、ヒット曲を連発していく。(涙のキッス、エロティカセブン等)そして海外(北京)にも進出した。この映画でこけたことで、精神的に成長したのだと勝手に思う。

人は、『自分の縄張りで身を守る』といった本能があると聞いたことがある。しかし、ずっとそこに安住していても違った世界は自ずと見えてこない。しかし、慣れ親しんだ場所を一歩踏み出して、別の世界(分野)に興味を広げたりすることによって人間は成長していく。

『いとしのエリー』『勝手にシンドバット』をはじめとする多くのヒット曲で成功をおさめてた桑田佳祐、そしてサザンオールスターズ。

もしこの映画が本当の意味でヒットし、タケシのように映画監督としても成功をおさめていたなら、少なくとも今のようなポジションにはいなかったはずだろう。もしかしたら天狗になって、新曲すら出さず、過去の栄光にすがっていたかもしれない。コンサートで、2回真夏の果実を歌ってしまうような。

しかし、そうにはならなかった。挑戦したことによって、さらに輝き尚一層をました。難しいとされる日産スタジアムや4大ドームツアーをことごとくやってきた。活動40年以上たっても大きい箱で勝負できるのは、サザンと限られた歌手だけだろう。

さらに、東京オリンピックの公式ソングをメインで手掛けるほどになった。

映画の象徴であったミゼットと鎌倉

稲村ジェーンといえば何と聞かれたら、すぐあのサーフボードをのせたミゼットが浮かぶ。真夏の果実と希望の轍はその次だ。それぐらい映画の中ではインパクトがあった。

昨日(6月25日)は発売された『稲村ジェーンDVD』の得点にもこのミゼットが入っていた。当時はなんとも思わなかったのだが、稲村の海と鎌倉の風景にあっている。映画のテーマである『数年に一度の大波』がくることなんかよりも、このミゼットの存在のほうが大きい。

映画の観る視点って、どうどても自分の嗜好に目がいってます。自分はそれが『車』『音楽』『家』『嗜好品』『手紙』『写真』『文房具』だっとりする。なので、自然とミゼットに目がいってしまう。我が家に1台ほしいぐらいで、鎌倉に遊びにいくときの専用車にしたいぐらいだ。

また、運転手を誰にするかでだいぶ印象がかわってしあう。そういった意味で、加勢大周は大当たり。あの名ゼリフ『あつかっけどヨウ』も彼の雰囲気にぴったりであった。(同時代に活躍した吉田栄作ではあの味は出ない)

もう二度映画館で見ることはないと思っていた稲村ジェーン。

また10年後にもう一度観たい。その時はまた違った感想が言える自分でありたい。(終)

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