殉死を許した家臣の数が十八人になった時、五十余年の久しい間治乱お中に身を処して、人情世故に飽くまで通じていた忠利は病苦の中にも、つくづく自分の死と十八人の侍の死とに就いて考えた。生あるものは必ず滅する。老木の朽ち枯れる傍で、若木は茂り栄えて行く。嫡子光尚の周囲にいる少壮者どもから見れば、自分の任用している老成人等は、もういなくて好いのである。邪魔にもなるのである。
自分は彼等を生きながらえさせて、自分にした同じ奉公を光尚にさせたいと思うが、その奉公を光尚にするものは、もう幾人も出来ていて、手ぐすね引いて待っているかも知れない。自分の任用したものは、来年それぞえの職分を尽くして来るうちに、人の怨みをも買っていよう。少なくも娼嫉の的になっているには違いない。
そうして見れば、強いて彼等にながらえていろと云うのは、通達した考えではないかも知れない。殉死を許して遺ったのは慈悲であったかも知れない。こう思って忠利は多少の慰藉を得たような心持になった。
『阿部一族』森 鴎外
あ ら す じ
肥後藩主・細川忠利の死に、阿部弥一右衛門は殉死者として加えられなかった。
そのため、周囲からの非難もあり、無念腹を切ることとなる。
嫡子・権兵衛はこのために禄高を減らされ、忠利の一周忌に、武士を棄てる
行動に出て、練り首となる。阿部一族は権兵衛の屋敷に立てこもり、滅亡する。
感想
武士社会の理不尽さに翻弄された武士たちの悲壮感が、読むほとにあふれ出てきます。忠義という概念が、江戸の前期
にどれほど重いものだったのか。時代背景を考えつつ、殉死を望む当時の人の心を読み解くのもいいですね。

武士たちの厳格な心情を強くイメージしながら、背筋をきちっと伸ばして音読すると身が引き締まります。
コメントを残す