教育熱心な父親により、幼い頃から自由な時間を得られずに勉強ばかりをしてきた雅也。
進学校に入学した雅也でしたが、大学はいわゆる三流大学(Fラン)に入学したため、父親は雅也のことを認めていません。また母親の衿子は昔から父親に家政婦のように扱われていたため、自分では何も決められない人間になっていました。うちの親父も似たようなところがあるのでやや共感しました。
雅也は大学で、中学時代の同級生だった加納灯里と再会します。中学時代は地味な印象が強かった灯里が、明るい性格になっていることに雅也は驚きます。
祖母のお葬式に参列するため、雅也は実家に帰りますが、父親は雅也のことを目の敵にします。家でうんざりした気持ちになった雅也は、自分宛てで届けられていた手紙に気づきます。ここがこの物語が転換されていきます。
なんと手紙の主は、榛村大和。彼は雅也が中学生時代に通っていた時のベーカリーの店長でしたが、24人もの人間を殺害した上で被害者の爪を剥がしてコレクションにしていた「連続殺人鬼=サイコキラー」でもありました。
後日、雅也は、収監中の榛村に面会しに行きます。すでに死刑判決を受けた榛村は、自身の罪を認めていましたが、「立件された9件の事件の内、なぜか最後の1件だけは自分はやっていない」と告白する。
実は、それには榛村以外にも殺人鬼が存在し、今現在も街に潜伏していることの恐怖を訴える榛村は、雅也に「真犯人を探してほしい」と依頼します。

面会から帰る途中、雅也は髪の長い男と話をします。「ある人に面会に来たが、会おうかどうか決められなかった。君に決めてほしい」と雅也に語りかける髪の長い男に気味の悪さを感じた雅也は、彼から逃げるように距離を置きます。
榛村を担当している弁護士の佐村から、24件の殺人事件に関する調書を読んだ雅也は、榛村が主張する9件目の事件だけが、その他の事件と異なる点があることに気付きます。
榛村の手口は、狙いを定めた「16~17歳の少年少女」と長い時間をかけて信頼関係を抱き、燻製小屋に連れ込んで拷問を行ったのち殺害するというものでした。(ここの描写はけっこうエグイ)

しかし、9件目の事件の被害者・根津かおるだけは「24歳の成人女性」であり、さらに「山中で首を絞めて殺す」という他の事件とは違う突発的な形で殺害していました。
一連の事件に違和感を抱いた雅也は、独自に調査を開始します。
①榛村が主張する一つの冤罪
4人もの人間を殺害し、世間を震撼させた殺人鬼の榛村。彼は自身の犯行を認めていますが、立件された9件の内、9件目の殺人だけは自身の犯行ではなく「別に犯人がいる」と主張します。
私はこの時点で疑問が2つの残った。
(1)既に死刑確定の榛村が「なぜ、たった1件の冤罪にこだわるのか?」ということ。24人も殺しておいて。
(2)「どうして、榛村は雅也は選んだのか?」という疑問。おそらくこの点が作品のテーマなような気がする。

②「人の心を巧みに操る榛村」
本作では「どうして、榛村は雅也をあ選んだのか?」という疑問の一方で「雅也はなぜ、殺人鬼である榛村のために動くのか?」というのも気になる点になります。そこが榛村の人も心を巧に操るところなんですが・・・
彼の殺人のパターンは規則性があった。いたって真面目そうな学生を主な標的にし、24人もの人間を殺害した榛村は、信頼した相手を拷問にかけて爪をはがし、じわじわと殺すという末恐ろしい殺人鬼です。そんな狂気にみちた榛村であったが、周囲の人には愛想がよくそのギャップがまたさらに恐怖を醸し出していた。

あの以上なまでの冷めた表情も背筋が凍った。榛村は、人の心に自然と入り込み、いつのまにか手玉に取る術を知っていると思います。
そして榛村の標的となったのは、決まって両親や周囲の人間に、何かしらのコンプレックスを抱いている人間でした。
榛村が標的に選んでいたのも、勉強ができる真面目そうな10代の少年少女。厳しい家庭に育ったことで自由な時間を奪われ、不満を抑圧させて生きている、言わば、心に入り込む隙がある子どもたちであった。心に隙がある子どもたちを「凄いじゃないか!」と褒め自己肯定を高めることで、自身に依存させていきます。

榛村に冤罪の調査を依頼された雅也もまた同じ状況であった。、厳しい家庭環境で育ち、父親の期待に応えられなかったことにコンプレックスを抱いた。それゆえに中学時代の雅也も榛村の標的に選ばれていた。
また雅也の母親である衿子(みぽりん)が過去に榛村と関係があったことが発覚し、雅也が「榛村は自分の父親ではないか?」と思い始めた辺りから、本作の視点が転換します。
中盤まで、雅也目線で「9件目の殺人事件の真相」を追いかけるのですが、中盤以降から雅也は榛村によって心に闇を抱えるようになり、榛村に依存するようになります。同じ目線だったはずの雅也ですら、信用できなくなる。これが『死刑にいたる病』の中盤以降の恐怖となります。

榛村の標的は何かしらのコンプレックスを抱いている人たちでした。それでは幸せな家庭に育ち「普通」に生きていれば、「病」のような殺人衝動は絶対に芽生えないのでしょうか?
『死刑にいたる病』で印象的なのは、世間体に囚われるが故に人々がストレスを抱える社会を、意図的に描き出しているという点です。
学歴にこだわる雅也の父親、Fランク大学に入り将来が見えず、真面目に生きる気力を失った大学生、日頃の不満を自分より弱い立場にぶつける。そんな人は皆周りにもいます。

作中の榛村のセリフにもある「人生を大事にしていない人たち」が世の中に溢れており、何かのキッカケで雅也同様心に闇を抱きかねない人ばかりです。オソロシヤ。
そして榛村の病的な殺意は「人生を大事にしていない人たち」に簡単に感染するのです。コロナ感染もやっかいですが、こちらの感染はもっと怖いですね。
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